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鯉オヤジの日常日記

広島カープ情報をメインに、食べ歩き、映画、生活お役立ち情報、日々の思い等、思い切りごちゃまぜのブログです!!

(映画)沈黙ーサイレンスーを観てきました

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160分の長編です

ネタばれ注意(未鑑賞の方はご注意下さい)

遠藤周作の代表作にして、キリスト教文学の傑作「沈黙」。気になるあらすじをご紹介します。舞台は、キリスト教が禁止された江戸初期の日本。高名な神学者であるフェレイラが、日本において、キリシタン弾圧に屈して棄教したという報せを受け、フェレイラの弟子であるロドリゴが、真相を確かめるため日本へ。隠れキリシタンのキチジローの手引きで日本に潜入し、布教活動を始めます。

しかし、キチジローの裏切りにあい、投獄されてしまうロドリゴ。自身の信仰を守るため、殉教することを考えますが、かつての師・フェレイラにより、自分が棄教しない限り、他の信徒たちが拷問され続けるという残酷な事実を告げられます。ネタバレすると、ロドリゴも踏み絵を踏んで、棄教する道を選択するのですが、そこに真の神の教えがあるという、崇高な作品のテーマが隠されています。


17世紀。江戸初期頃の日本では、幕府により厳しいキリシタン弾圧が行われていた。日本での布教活動に情熱を注いでいた高名な宣教師フェレイラが捕らえられ棄教したとの報に接した弟子ロドリゴとガルペは、日本人キチジローの手引きでマカオ経由で長崎に潜入。そこでは、想像を絶する光景が広がっていた。弾圧の目をかいくぐった隠れキリシタンたちの現状も目の当たりにする。幕府は一層取締りを強化、キチジローの裏切りに遭い、ロドリゴたちも捕らえられてしまう。頑なに信心を曲げないロドリゴに対し、長崎奉行は彼のために犠牲になる人々を突き付ける。信仰を貫くべきか、棄教し目の前の人々の命を守るべきか。追い詰められ自身の弱さを実感したロドリゴは、選択を迫られる。



基本データ

原作:遠藤周作 x 監督:マーティン・スコセッシ
戦後日本文学の金字塔を完全映画化。


主演
アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ

監督
マーティン・スコセッシ

脚本
ジェイ・コックス
マーティン・スコセッシ






感想

日本人作家の遠藤周作が原作を書き、外国人が監督を務めるという珍しい作品ですがマーティン・スコセッシ監督は原作を読み映画の構想を30年近くもあたためてきたそうです。
キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる17世紀の長崎を舞台に来日したポルトガル人司教が棄教に至るまでを描いた作品ですが、日本の雰囲気、日本人の気質、風土がうまく現せているいる事に驚きました。
長い年月の中で日本の事をかなり勉強されたのでしょう。
余計なBGM等を極力使わず波の音とか鳥の鳴き声等自然の音が響き渡ります。
その中で拷問を受ける信者達の姿、うめき声は史実に基づく描写なのでしょうが、おそらくこの時代の日本の宗教弾圧について疎いと思える欧米の観客はどう思ったのでしょうか?
日本人の残虐さに反感を覚えるかもしれません。
映画の冒頭では役人達がキリスト教信者を吊るし、穴を開けたヒシャクで顔に熱湯を浴びせる肉の焦げた匂いがしそうなシーンから始まり、踏み絵を拒んだ信者をばっさりと切り捨て首をはねるシーン、信者を十字架に貼り付け海に埋め波に何度も何度も叩きつけられ死ぬまで降ろさず見届けるシーン、信者を逆さに吊るし穴を掘った地面に顔を突っ込ませ頭に血が溜まらない様首を若干切り血を抜く拷問等、私も目を背けたくなるシーンが数多く登場します。

映画を観終わった後で私なりにこの映画のタイトルの意味するものは何なのかを考えてみました。
隠れキリシタンをあぶりだす為に踏み絵を行ったり隠れ信者情報を提供した者には褒美を与える、キリスト教を棄教しない者には拷問を繰り返すそれでも信仰を止めようとしない信者のうめき声、祈りに何故神は答えず沈黙したままなのか?
神はいないのか?
という問いかけなのでしょうか。

私はキリスト教徒では有りませんが、この作品は宗教を離れても理解出来る事の問題提起かなと思います。
それは普遍主義です。
映画では日本人奉行が司祭に棄教を迫り、それに対して司祭はキリスト教の普遍性を訴える。
けれども奉行はそんな普遍性など無いのだと司祭を説き異国人間での論争を幾度も続ける。
日本人は宗教を統治の道具としか捉えないので国が変われば神も変わると考えるが普遍でなければ神ではないと考える司祭はこの日本人の考えが受け入れられない。
しかし、その間に残酷な拷問にうめき声をあげながらも耐える信者達、信心を断たない信者を刀で切り捨てる役人達等を見て悩みを深める司祭。
普遍主義対相対主義の論争として捉えれば現代でも存在する対立ですし4世紀前の問題でも古臭いテーマではない訳ですね。

私はこの作品の原作を読んではいませんが刊行から50年を迎え20ヶ国以上で翻訳され今も読み継がれているそうです。
作者の遠藤周作氏の没後20年の時を経て映画化された訳ですが私はこの160分の長編が長くは感じませんでしたし、もう一度映画館で観ようと思っています。
皆さんにもお勧め出来る映画だと思います。